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MotoGP第10戦ドイツ、真夏のストーブリーグ
インテリマーク編集部
2007年7月12日

2007年のMotoGPシーズンは、今週7月13日(金)からザクセンリンク・サーキットで行われるドイツGPより全18戦中の10戦目を迎え、ついに後半戦に突入する。
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■ドイツとアメリカ、長距離移動の2連戦

前回のイギリスとオランダの慌ただしい2連戦と同じく、今週のヨーロッパ・ラウンド最後となるドイツGPと来週のアメリカGP(7/20〜)も2週連続で行われ、各チームスタッフは忙しい機材の運搬作業と長距離移動に休みなく追われる事となりそうだ。
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なお、アメリカGP以後の4週間は、8月17日からチェコGPが開催されるまでMotoGPのレースやテストは行われず、各チームやライダーは4週間の夏休みに入る事となるが、この時期は来期シーズンに向けての契約交渉が活発化する時期でもある。

ここでは、7月13日からドイツGPの舞台となるザクセンリンク・サーキットの歴史やコースレイアウトの特徴、夏休みを前に水面下で活発化する来期シーズンのシートの行方を含む前回のオランダGP以降の新着トピック、ならびに昨年のドイツGPのレース内容などを紹介する。


■真夏のストーブリーグ

夏休みを前に水面下で活発化しつつある来期2008年シーズンのMotoGPクラス各チームのシート争奪戦だが、先月の6月13日のケーシー・ストーナーのドゥカティーとの契約更新に引き続き、現リズラ・スズキのジョン・ホプキンスの去就が確定したようだ。
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イギリスのロードレース誌であるMCN(http://www.motorcyclenews.com/)は、今年までの5年間の活動を最後に、ジョン・ホプキンスがスズキを離れる事を、リズラ・スズキのチーム監督であるポール・デニングが認めた事を7月10日に報じている。

■ホプキンスは2008年にカワサキへ移籍

MCNの記事によれば、ジョン・ホプキンスはカワサキとの来期に向けての契約書にアッセンのレース後にはすでにサインしており、デニング監督は今週の月曜日(7/9)にホプキンスのマネージメント側からその旨を正式に聞かされたという。
より最新の図はこちらの記事を参照
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ホプキンスは今シーズンは1回の表彰台を獲得し、現在のランキングは4位と好位置につけており、スズキとカワサキ以外にも、ドゥカティー・マルボロ、グレッシーニ・ホンダ、TECH3ヤマハなどとも来期についての交渉を開始していた事が知られていた。

■落胆するポール・デニング監督
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デニングはMCNに対し「今シーズンが半分しか終わっていない段階でジョンが来期にチームを離れる選択をした事については、スズキの立場としては非常に落胆しているとしか言えない。ただ、彼は今シーズン中はリズラ・スズキのライダーに違いないので、残りのレースもこれまで通り彼のために全力を尽くし、彼がランキング3位でシーズンを追われるように頑張るつもり。ジョンが他のチームを選ぶなんて本当に残念で仕方がない。理由はチームへの不満ではなく、金銭的な折り合いの問題だと聞いているが、それは私の関与すべき部分ではないので何とも言えない」とコメントしており、ヤマハからの移籍後にスズキで急成長を遂げる事になったホプキンスが、シーズン中盤のこの時期にスズキを離れる決断をした事に、戸惑いを隠しきれない様子だ。

■移籍の理由は契約金?
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MCNはスズキがホプキンスのマネージメント側から申し入れられた来期の契約金である270万ユーロ(約4億5千万円)を一度断っており、どうやらホプキンスを射止めたカワサキは、その金額に応じたのだろうとしている。

また、MCNは7月10日の別の記事の中でカワサキのコンペティション・マネージャーであるミハエル・バルトレミーにコメントを求めている。この記事の中でバルトレミーはホプキンスがカワサキの契約書にサインした事を暗に認めてはいるが、正式発表が行われるまでは詳細を明かしたくないとして、多くを語らなかったようだ。


■年齢差の激しいエリアスの代役2名とMotoGP年齢制限

以前のニュースでも報じた通り、前回のアッセンで大腿骨を骨折し、復帰時期は夏休み明けのブルノかミサノを目標としているトニ・エリアスの代役として、今回のドイツGPには昨年にもエリアスの代役を務めた22歳のイタリア人SBKライダーのミッシェル・ファブリツィオ、その次のアメリカGPでは39歳のAMAライダーであるミゲール・デュハメルが、グレッシーニ・ホンダチームから出場する事が決定している。若いファブリツィオとベテランのデュハメルの年齢差は大きく17だ。
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ちなみに、FIMが規定するMotoGPクラスと250ccクラスへの参加年齢の上限は50歳であり、デゥハメルには貫禄があるもの、まだ10年以上の余裕がある。なお、今期にイルモアからMotoGPクラスに参戦していた42歳の英国人ライダーであるジェレミー・マクウイリアムスよりデュハメルは3歳若い。


■ヤマハ・フェスタでロッシがライダーとして活動する年齢に言及

イタリアのミサノ・サーキットでは先々週のワールド・ドゥカティー・ウイークに引き続き、先週の7月6日からの3日間の日程でヤマハ・フェスタが開催されており、ここに登場したバレンティーノ・ロッシは、いくつかの興味深いコメントをイベント内で残している。
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■ロッシにとってMotoGPは32歳が区切り?

過去にF1をはじめとする4輪への転向が大きく取りざたされたロッシは、ライダーとしての今後の活動に関する質問への返答として「契約の通り、2008年まではヤマハで活動するが、その後は延長しないかもしれないし、その時まで分からない。1つ確実なのは、何にでも限界はあるし、自分が31歳か32歳を過ぎてレースを走る事はないという事。そろそろ将来のシーズンに熱中できる新しいチャレンジを何か見つける時かもしれないが、今の活動にはとても熱中できている」と述べ、現在はヤマハでのMotoGPの戦いに集中できているが、その後の事は不明だというニュアンスの回答をしている。

■ドゥカティーへの移籍も以前に何度か検討

また、ドゥカティーへの移籍の可能性についてロッシは「イタリア人ライダーがイタリアのマシンで戦う訳だから魅力的だし、実際以前には何度も考えた。でも、ヤマハを裏切るような事はしたくないし、チームともすごくうまくいっているので、特に現在のチームを変わりたいとは思っていない」とコメントしている。


■旧東ドイツのモーター・スポーツを支えたザクセンリンク

今週のドイツGPの舞台となるザクセンリンク・サーキットは旧東ドイツ側となるドレスデンの街から南に約100キロメートル、ケムニッツの街から2〜3キロの距離に位置する比較的小さなサーキットだが、MotoGPシーズンの中ではイタリアやスペインと同様に3日間で述べ20万人という最大級の観客動員数を誇る事でも知られており、去年は平日の金曜日である初日フリー・プラクティスだけでも5万人の観客が訪れている。
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■ザクセンリンクの歴史

ドイツのザクセンリンク・サーキットが初めて世界GPのコースとして使用されたのは1961年の事だが、当時のサーキットは現在のサーキットとはコースレイアウトが全く異なる全長8.6kmの公道コースを用いた高速サーキットだった。
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ドレスデンの街は、かつて旧東ドイツにおけるオートバイ・レース産業の中心地として栄えた場所であり、旧ザクセンリンク・サーキットは、モーター・スポーツに飢えた東ドイツの多くのレースファンを魅了した場所としても知られている。

■高速ロングコースだった旧コースとは全く逆の特徴を持つ新コース

死者を出しやすい危険な旧コースは1972年を最後にGPカレンダーから外されたが、代わりにすぐ隣のケムニッツの町の近くに反時計回りの新コースが1996年に用意され、1998年から旧サーキットと同じザクセンリンクの名でGPに復帰している。新コースは旧コースとは全く異なる3671メートルのショートサーキットとなり、GPカレンダーの中では最も低速のサーキットとなった。
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ちなみに、1972年の旧コース最後の最高峰クラス優勝者はジャコモ・アゴスティーニだった。

■自動車の技能訓練施設としての利用も

なお、現在のザクセンリンク・サーキットは、1996年に本格的な運営を開始する以前に自動車の運転訓練場としても使用されていた。現在でも、レースが開催されていない期間は運転技能や安全運輸の訓練場として使用される事があるという。


■低速すぎたコースレイアウトを高速化する為の改修工事

レーサーの安全を確保する為に、速すぎるレース中の速度を下げようと改修を続ける他のサーキットとは異なり、低速になりすぎたザクセンリンクだけは、毎年レースの速度を上げようとする努力を主催者側は必死に続けている。
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サーキットがGPに復帰した98年当時、最高峰クラスの1周回における平均速度は時速143キロメートルと遅かったが、大きな改修のあった2000年の平均速度は時速150キロメートル、さらに高速ループが拡張された2001年から2003年の工事の後は時速158キロメートルの平均速度が記録されるようになった。

■現在でもザクセンリンクはMotoGP最低速サーキット

しかしながら、それでもいまだにザクセンリンクがGPカレンダーの中で最も遅いサーキットである事には変わりがなく、MotoGPバイクの場合は1ラップ中に10%程度の割合でしかスロットルを全開にするタイミングがなく、マシンのパワーをフルに使う事は難しいという。


■ライダーの技量を問うコースレイアウト
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ザクセンリンクはMotoGPカレンダーの中でも特に狭くで折れ曲がりのきついサーキットであり、コーナー間の距離が全体的に短く、マシン性能による差がつきにくい事からレースは毎年白熱の接近戦となる。3.6キロという周回距離の短さから、MotoGPクラスのレースの周回数は30ラップと多めだ。

当然、エンジンパワーだけでは優位性を確保できないだけではなく、ライダーの繊細なマシンコントロールの技量も問われるサーキットだ。

■極度に低速の前半区間

毎年レースが白熱するため、MotoGPを観戦するファンには非常に人気の高いサーキットだが、ライダーにとっては体力的に辛く、マシンやタイヤには厳しい負荷がかかり、コース幅の狭さから追い抜き箇所も多くはないので、MotoGPライダーの一部にはザクセンリンクを苦手とするライダーも何人かはいるようだ。
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MotoGPライダーに敬遠されがちなのがコースの前半区間であり、特に1コーナーから4コーナーにかけてはきついカーブが連続している。MotoGPバイクにとっては辛い区間だが、今期から導入された800ccマシンは昨年までの990ccマシンよりもコーナリング性能が機敏になっている事から以前よりは走りやすくなる筈だ。

なお、6コーナーから7コーナーにかけても低速だが、ここはライダーにとっては気持ちよく楽しんで走れる区間だという。

■2003年までに新設された最終区間は高速ロングカーブ
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写真特にザクセンリンクの中でライダーに人気が高いのは、僅か4つしかない右コーナーの1つである12コーナーだ。ここは完全なブラインドカーブになっており、恐怖感を抑えて時速200キロメートル以上の速度で飛び込んでから、急こう配を下って13コーナーに向かう事になる。この12コーナーの頂上付近では、気をつけないとリアが浮かび上がりそうになるので、この部分でトラクションがしっかりと得られるマシンのセッティングが不可欠になるという。

■タイヤにとっては耐久テストさながらの側面荷重
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その他の特徴としてあげられるのは、14あるコーナーのうちの右コーナーはたったの4つであり、ほとんどが左コーナーで構成されている事だ。さらに直線区間が少ないため、コース終盤の高速区間に入るまでマシンが直立する事はほとんどなく、常に左に傾いた状態になる事から、タイヤ左側面への負担が非常に大きく、レース中は左側面のオーバーヒートに注意を要するなど、タイヤの耐久性テストをしているような状態になる。


■ザクセンリンクを走る上で必要なマシン・セッティング

フルスロットルのアクセルワークを用いる場面があまりないザクセンリンクでは、トップエンドのエンジン出力よりも、ミッド・レンジの安定した出力性能が重要となる。すなわち、低中速域でのめりはりのきいたエンジン・マッピングと、それを受け止めるバランスの良いシャシーが勝敗を左右する。
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また、ほとんどのコーナーは2速か3速のギアを用いるため、ミッションにかかる負荷が激しく、タイヤやシャシーだけではなくエンジンの耐久性も重要となる。サスペンションのセッティングは前回のアッセンと比べると、フロント・フォークとリアのサスペンションは柔らかめにする事が多いようだ。


■エンジンパワーが不足気味のチームやメーカーにはチャンス

ザクセンリンクはトップスピードによる優位性を発揮できないコースであり、エンジンパワーが不足気味のメーカーやチームにとっては大きなチャンスとなる。

昨年、ホンダのマシンで250ccクラスを戦う高橋裕紀選手が、エンジンパワーで優位に立つアプリリアのワークス勢を抑え、自身2度目のグランプリ優勝を果たしたのはこのザクセンリンクだった。
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MotoGPクラスでは、ハンドリングを誇るとされるヤマハがバレンティーノ・ロッシの走りによりドイツGPの過去2連覇を達成している。なおドゥカティーにとってはエンジン・パワーの優位性が活かせないサーキットだが、彼らはそれほどザクセンリンクには苦手意識を持っていないようだ。


■MotoGPクラスの昨年のレース内容
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最後に、2006年シーズンにおけるドイツGPの内容を簡単に振り返っておきたい。

昨年のドイツGPの決勝日は、午前のウォームアップ中にホンダLCRのケーシー・ストーナーが12コーナーの入り口で転倒、マシンと共に高速で路面を滑走しながらグラベルに突入するという衝撃的な場面から始まった。

■悔しいレース欠場となったストーナー
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最高峰クラスデビュー当時のストーナーは速さには定評があったものの、頭部からの若干危険に思える転倒が多く、この時にも頭から落下している。なお、転倒直後にストーナーは自力で立ち上がってピットに向かって歩いており、実際には意識を失うような脳震盪や大きなダメージはなかったのだが、ドイツのチーフ医師はストーナーが転倒時に意識を一時的に失ったとの見解を最後まで崩さず、チームと本人の主張もむなしく、FIMのルールに従ってストーナーはこの時のレースを欠場するに至っている。

■ポールポジションはダニ・ペドロサ
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レース開始を待つスターティング・グリッドにはストーナーを除く全ライダーが並び、ポール・ポジションにはレプソル・ホンダのダニ・ペドロサ、2番グリッドにはチーム・ロバーツのケニー・ロバーツ・ジュニア、1列目最後の3番グリッドにはレプソル・ホンダのニッキー・ヘイデンがつけた。
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11番グリッドに並ぶ予定だったキャメル・ヤマハのバレンティーノ・ロッシは予選10位のストーナーがレースを欠場する事になった関係から、10番グリッドに繰り上がってレースを開始している。

■序盤をリードしたのはレプソル勢の2台

レースの序盤をリードしたのはヘイデン、2番手以降にはペドロサ、ロバーツ、ロッシ、コニカミノルタ・ホンダの玉田誠選手、フォルツナ・ホンダのマルコ・メランドリ、ドゥカティーのロリス・カピロッシが続き、先頭集団は早々とこの7台に絞られた。
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レースの3分の1が過ぎた11ラップ目にはメランドリがトップに立ち、2番手にペドロサ、3番手にヘイデン、4番手にロッシ、5番手に玉田選手、6番手にロバーツ、7番手にカピロッシが続いた。

■そりゃないよケニー
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不調に沈んでいたこのシーズン中に久しぶりとなるトップ集団での活躍を見せていた玉田選手だが、ここで大きな不幸に見舞われてしまう。11ラップ目の最終コーナーに進入した玉田選手の左側面に、突然グリップを失って転倒したロバーツ・ジュニアが突っ込み、2台は揃ってグラベルに飛び込んだ。
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■ロバーツ・ジュニア「チョットモンダイ?」
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復調の兆しが見えかけていた玉田選手は、この事故の中でロバーツの乗るKR211Vのフレームに足を挟まれ、シーズン後半の戦いに大きく影響する事になる強度の捻挫をひざに負う事となってしまった。

なお、グラベルで苦しむ玉田選手を見たロバーツ・ジュニアは、横たわる玉田選手に必死で駆け寄るとすぐさま「タマダサン!ダイモンダイ?チョットモンダイ?」と日本語で話しかけており、これを聞いた玉田選手が痛みを忘れて吹き出したのは今や有名な話だろう。

■トップ集団はロッシ、メランドリ、ヘイデン、ペドロサの4台に
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ロバーツと玉田選手が脱落し、カピロッシが後退した事から先頭集団はメランドリ、ペドロサ、ロッシ、ヘイデンの4台となり、13ラップ目にはロッシが先頭を奪って後半のほとんどをリードするが、残り2周となる28ラップ目の1コーナーでのブレーキング合戦ではメランドリがロッシのインを奪い、再びトップに躍り出た。

■最終ラップの最終コーナーまで前を奪い合うロッシとメランドリ
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残りの2周は優勝を争うイタリア人2名のバトルと、その背後で3位表彰台を争うレプソル・ホンダ間のバトルが同時に炸裂した。最終ラップの最終コーナーでもまだ前を奪い合うロッシとメランドリは完全に横並びとなったが、立ち上がり加速に有利なラインを奪ったのはロッシの方だった。
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2006年のドイツGPで最初にチェッカーを受けたのはキャメル・ヤマハのバレンティーノ・ロッシ、2位はフォルツナ・ホンダのマルコ・メランドリ、チームメイトとのバトルを制して3位表彰台を獲得したのはレプソル・ホンダのニッキー・ヘイデンだった。
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■ザクセンリンクのコースレコード
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ザクセンリンクのサーキットレコード(990cc)は2006年にダニ・ペドロサが記録した1分23秒355、ベストラップレコード(990cc)は2006年にダニ・ペドロサが記録した1分21秒815。


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