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ノリックの全日本復帰とSBK2年目の中冨選手
インテリマーク編集部
2007年2月10日

ホンダからの1994年のWGP(現MotoGP)スポット参戦において、ケビン・シュワンツやミック・ドゥーハンを抑える過激な走りで残り3ラップの1コーナーでの転倒直前にはトップに躍り出て、バレンティーノ・ロッシを自ら「ろっしふみ」と名乗らせるきっかけとなったほどの、GP史上に残る衝撃的かつ輝かしい世界デビューを飾ったノリックこと阿部典史(あべのりふみ)選手が、今年から全日本ロードレース選手権に戻ってくる事が正式に決定した。
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■超人気、ノリックの全日本復帰
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94年の過激な走りは、不慮の事故で現役を引退して間もないヤマハの伝説のライダーであるウェイン・レイニーの目にとまり、レイニーの呼びかけでヤマハに移籍してのWGPへのフル参戦を果たした阿部選手は、その後に最高峰クラス500ccで3回の優勝を記録した現在でも世界中に多くのファンを持つ"超"人気ライダーだ。
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4スト化されたMotoGPを経て、2005年から2年間はヤマハ・フランスチームからSBKに参戦していた阿部選手だが、2006年シーズン終了時点でヤマハ・フランスとの契約更新をしなかった事が伝えられており、その後の動向に注目が集まっていた。
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■10年ぶりの復帰は「ワイズギア・レーシング」から

ヤマハの2月9日のレースリリースによれば、阿部選手は、新たに発足したチーム「ワイズギア・レーシング」から、MFJ全日本ロードレース選手権における事実上の最高峰クラスであるJSB1000クラスに、今シーズンはフル出場を果たす。
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阿部選手は全日本の最高峰クラスが2スト500ccだった最後の年のチャンピオンであり、その翌年から4スト化された全日本最高峰クラスのスーパーバイク選手権に出場した経験も持っている。従って、GPやSBK時代に一度も8耐などに凱旋出場しなかった阿部選手にとって、全日本でスーパーバイクに乗るのは2度目であり、ほぼ10年ぶりの事だ。
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■得意の鈴鹿まであと少し
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2003年を最後にMotoGPが鈴鹿で開催されなくなったのを誰よりも残念に思っていたのは、鈴鹿での日本GPにおける2回の優勝経験を持つ阿部選手かもしれない。全日本に復帰した阿部選手が、再び得意の鈴鹿でアグレッシブな走りを見せる日までもうあと少しだ。
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全日本の2007年シーズンの開幕戦は4月1日の栃木県ツインリンクもてぎ、第二戦の鈴鹿2&4は4月15日の三重県鈴鹿サーキットにて開催される。
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■ノリック古巣のヤマハ・フランスはSBKから撤退、中冨選手は?

なお、昨シーズンはヤマハ・フランスチームで阿部選手のチームメイトとしてSBKデビュー・イヤーを終えた中冨伸一選手は、今シーズンの2007年も同チームからの出場がSBK公式などから発表されていたが、昨年までヤマハ・フランス・チームの運営母体だったMG Competition のリリースによれば、2007年にヤマハ・フランス(ヤマハのフランス法人)は同チームのスポンサー活動から撤退した事を正式に表明している。
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■中冨選手のチーム体制そのものは昨年とほぼ同じ

写真MG Competition が今期も中冨伸一選手をライダーとしてSBKに参戦する事には何ら変わりはないが、今年の彼のチーム名は、上記の理由によりヤマハ・フランスではなく「チームYZFヤマハ」となる。

同チームが使用するマシンは、昨年と同様に日本国内のヤマハがMG Competitionと共同開発しているキット車(YECレーシングキット)をベースとするため、今回の動向によりマシン性能などの条件が著しく変わることはないようだ。

新チームとなったチームYZFヤマハだが、現在も中冨選手以外のライダーは確定していない。昨シーズンの終了後、ノリックの後任を探していたヤマハ・フランスがジェームス・エリソンやシェーン・バーンと交渉をしていた事実は知られているが、2名とも持参金の問題などから契約には至らなかった。


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